ラウドネスのドラマーの樋口宗孝さんが、闘病生活の末、亡くなってしまいました。その日の夕方、連絡をもらってから、なんだか心のピースが欠けてしまったかのように、やりきれない気持ちで過ごしています。沢山持っている、樋口さんのドラムの音源を聞くと、樋口さんのドラムがもう見られないことが、悔しくて、悔しくてしかたないんです。最後に会った時、「子供ってかわいい?」と樋口さんが聞いてきたので、「かわいいですよぉー。樋口宗孝の遺伝子を、日本のロック界に、絶対残してくださいよぉ」って話していたのに。ホントに、うそみたいにいなくなってしまいました。加奈ちゃんが、「樋口さんの前世は、きっと武士だよ」って言ったことがあったけど、生で樋口さんのドラムを観た人はわかると思うけど、気迫でコワくて口がきけなくなるあの感じ。風が吹くドラムに、こっちがびびってると、ちょっとニヤっとして、叩かされて、必ずひとつためになるアドバイスをくれて、そのあと、必ず飲みに連れて行ってくれて。そこでも、高校生みたいに割りばしで、フレーズを練習させられたりして。そんな風に、沢山の後輩を引っ張っていてくれた、プレイ以外も偉大なドラマーでした。まだまだ叩きたかったと思うし、残したいものも沢山あったんだろうと思うと、先輩なのに失礼だと思いますが、可哀想でたまりません。あんなに強かった樋口さんが、死を前にして、眠れない夜があったり、こわくて叫び出しそうだったりしたんじゃないかと考えると、苦しくなります。帰ってきて欲しかった。残酷ですね。残してくれたものは山ほどあるけど、もっともっと生きていて欲しかった。
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最後に樋口さんを見たのは、パールのイベントでした。
富田さんも出ていられましたよね。
樋口さんが日本のハードロックシーンを確立したと言っても過言ではないと思います。
本当に唯一無二のドラマーを亡くしましたね。
ご冥福をお祈りします。
学生時代にドラムを少々やっていた頃、長髪にして
樋口さんが使用していたドラム用シューズ
(体育の時に使っていたような靴)の似たものを買い
どのシューズが自分に合うか研究しました。
ラウドネスのアルバムがビルボードにチャートインした時は
「日本人もやるだろ」と誇らしく思いました。
この場をお借りしてご冥福をお祈りします。
そして、余計なお世話かもしれませんが
きょんちゃんも体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。
樋口さんの訃報は仕事の休憩中に携帯で知りました。
ラウドネスの初期の頃、「Milky Way」を聴いたとき本当にやられました。
ライヴに足を運ぶ機会は残念ながらありませんでしたが、アルバムを聴いても機材やインタビューを本で読んでも、こう言っては他のロックドラマーの方には失礼に当たるかもしれませが、一線を引いていました。
実際にライヴに行った方に話を聞くと「音圧が全然違う!!」と言ってました。
僕もパールの樋口さんモデルのスティックを使用した時期もありましたが、正直コントロールできませんでした。。。
なのに、樋口さんはスティックもヘッドも機材自体も何もかも進化していきました。
今更ながら、本当に偉大な方でした。ご冥福を祈ります。
もう少し先。少し落ち着いたら日本中の偉大なドラマーの方々がトリビュートアルバムを出すと思います。ドラムマガジンでも特集されると思います。
きょんちゃんも、ぜひともアルバム参加・インタビューなど参加して頂きたいです。